1921 One Minute Story 世代を超える双眼鏡

双眼鏡が支えた創業期と復興期

とある家の外観
双眼鏡を手入れする誰かの手元

カチャ

部屋に入る孫。ソファに座り双眼鏡をメンテナンスする祖父

孫:「おじいちゃん」

祖父の手元

孫:「ミクロンのお手入れ? それいいよね」

祖父:「使うんなら持ってっていいぞ」

孫:「(ニヤリ) だいじょうぶ」

孫の手にミクロン

孫:「ほら、同じの買ったんだ」

祖父:「ほぉ、まだ売っているのか」

孫:「おじいちゃんのは2代目。僕のはその後の復刻版だよ」

双眼鏡「オリオン」「スピカ」「 天佑号」

日本光学(現、ニコン)創業当初※から、双眼鏡は会社を支える重要な事業の一つで、製造・販売ともに好調だった。

※東京計器製作所の光学計器部門と岩城硝子製造所の反射鏡部門を統合、三菱合資会社社長岩崎小彌太氏の出資をもって「日本光学工業株式会社」として創業(直後に国産初の双眼鏡メーカーである藤井レンズ製造所を合併)

1921(大正10)年から、招聘したドイツ人技術者により手持双眼鏡の新設計を開始。

同年、初めてニコンで開発、設計、製造のすべてを行った双眼鏡「ミクロン6×」を発売。民生用の小型高性能な双眼鏡として好評を博した。

第二次大戦後の生産再開にあたって、まず着手したのも双眼鏡だった。

そこで1948年9月、ミクロンを設計変更した「ミクロン6×15」を発売。改良した接眼レンズや、クロムメッキ仕上げのプリズムカバーなど、旧来の双眼鏡のイメージを一新し、大人気となる。この時期も、双眼鏡は日本光学の業績を支える原動力となった。

その後も、ミクロン人気は高く、ユーザーの要望もあり、1997年に復刻版が発売された。

祖父と孫の家
書棚からアルバムを取る祖父

祖父:「実はな……」

初代ミクロンを覗く曾祖父の写真

祖父:「おじいちゃんの父さんは、初代のミクロンを持ってたんだ」

孫	:「!!」

笑顔で話す祖父と孫

誕生以来100年近くを経て今もなお、その個性的なデザインは多くの人に愛されている。

最初の「ニコン」

日本光学(現、ニコン)創立時から、双眼鏡は主力製品だった。とりわけオペラグラスとプリズム双眼鏡の「天佑号」は、創立のもととなった3社の一つである「藤井レンズ製作所」時代からの中心的製品であり、創業期の日本光学の経営を支えていた。
1921年、藤井龍蔵(日本光学取締役)が招聘したドイツ人技術者が、手持双眼鏡「ミクロン」の新設計を開始した。ミクロンは開発、設計、製造のすべてを自社内で行った初めての双眼鏡であるとともに、日本光学製として初めて発売した製品の一つで、民生用の小型高性能な双眼鏡として好評を博した。さらに、翌1922年には「オリオン」、1923年には薄暮用手持双眼鏡「ノバー」 を発表するなど、多くの双眼鏡を開発。当時の日本光学は、一般的には遠眼鏡(とおめがね=望遠鏡や双眼鏡)の会社とイメージされるほど、双眼鏡は市販製品の中軸であった。

藤井龍蔵

日本光学が藤井レンズから引き継いだプリズム双眼鏡「天佑号」

変わらず愛されるニコン

1921年発売の「ミクロン6×」(左)と1948年発売の「ミクロン6×15」(右)

戦後の生産再開にあたって、まず着手したのも双眼鏡だった。1945年12月には戦前機種の生産を再開。1948年に設計変更したミクロン6×15(写真右)も好評で、輸出も好調だった。紆余曲折はあったものの、1946年8月からの2年半、双眼鏡は日本光学売上高の5割前後を占め、以後も写真レンズやカメラが評価を得るまで3割前後の比率を維持。会社創立時と戦後の民需転換期の二度にわたって、双眼鏡は会社の業績を支える原動力となった。
その後、ニコンでは多様なユーザーニーズに応えるため、双眼鏡のラインナップを拡充。そして2017年、100年積み上げてきた光学技術を惜しみなく注ぎこんだ超広視界双眼鏡「WX 7×50 IF/WX 10×50 IF」を発売。圧倒的な広視界と視野最周辺まで美しい見え味を実現した、ニコン双眼鏡史上最高の双眼鏡を誕生させた。