1917年~

1917年〜

光をつかめ。

光学機器の国産化と
光学ガラスの自製

洋風化の波が次々と押し寄せる中、
欧米に追いつくためのチャレンジがはじまった大正時代。
産業の国産化はあらゆる分野での急務であり、
高度な技術を要する光学機器においても火急の課題だった。

1917

1917

ニコンの原点「日本光学工業」誕生

1917(大正6)年7月25日、当時の東京市小石川区原町120番地(現 文京区白山四丁目)に、測距儀、顕微鏡などの光学機器の国産化を目指し、日本光学工業株式会社が誕生した。ニコンの一世紀にわたる足跡の第一歩である。

この時代の日本にとって、より高度な光学機器の国産化は急務であった。その実現を託されたのが、三菱の創業者である岩崎彌太郎の甥であり、当時の三菱合資会社社長、岩崎小彌太(こやた)である。

そして、東京計器製作所の光学計器部門、岩城硝子製造所の反射鏡部門、藤井レンズ製造所を統合した新しい光学会社設立が計画された。これにより、日本光学工業株式会社、今のニコンが誕生することになる。

創立当時の本社 創立当時の本社

東京市小石川区原町120番地(現 文京区白山四丁目)の東京計器製作所内におかれた創立当時の本社。

[movie]動画で見る「ニコン誕生」

1918

1918

大井第一工場(現 大井製作所)完成、光学ガラスの製造研究に着手

1918(大正7)年に光学ガラスの研究を始めたが、技術的な困難を克服できず一時中止していた。しかし、光学ガラスの自給自足は光学機器国産化には欠かせない条件であったため、1922年に研究を再開。理論と実地とを並行させて研究するため、1923年3月に大井第二工場内に、熔解場1棟ほか3棟からなる硝子研究工場を建設し、500kg用の熔解炉1基、冷却窯4基、試験熔解炉2基(20kgと7kg)、その他の諸設備を設置した。5月ごろから光学ガラス熔解試験を開始し、6月に350kgるつぼで初の窯出しを行った。

大井第一工場 大井第一工場

1921年ごろの大井第一工場。中央右寄り奥に見える建物は五階建ての展望調整室。

熔解炉

500kg用熔解炉。

1921

1921

超小型双眼鏡「ミクロン4×、6×」発売

1921(大正10)年に発売した超小型双眼鏡「ミクロン」は、初めてニコンで開発、設計、製造のすべてを行った双眼鏡のひとつ。小型高性能な双眼鏡として好評を博した。1948年(昭和23年)と1997(平成9)年には復刻版が発売され、現在も販売される人気機種である。

ミクロン ミクロン

初めてニコンで開発、設計、製造のすべてを行った双眼鏡のひとつ。1948年と1997年に復刻された。

1921

ドイツ人技術者の招聘

1921(大正10)年、光学技術の進んでいたドイツから8名の技術者たちが招聘された。レンズ設計の世界的権威であるランゲ博士をはじめ、顕微鏡設計に豊富な経験を誇ったアハト、精密機械技術に秀でたベルニック、レンズ設計・計算を専門とするディルマンなど、彼らの指導は技術の向上に飛躍的な成果をもたらした。

ニコンの写真レンズ開発も、彼らによって本格的な設計が開始された。先進国の光学技術レベルに追いつくために、まず模倣から始まり、当時の主要レンズタイプであるテッサーに範をとって設計された一連のレンズ類が「アニター(Anytar)」と名付けられた。アニターの設計を担当したのが、設計部数学課主任でドイツ人技術者のハインリッヒ・アハト(Heinrich Acht)であった。アハトは、アニターのほとんどのレンズ設計を手掛けたといわれている。

アハトの帰国後は、日本人の設計者たちが改良を加えていった。「アニター12cm F4.5」は1929(昭和4)年末に試作完了後、さらに修正され、1931年には本家のテッサーに見劣りしないレベルに達したといわれるまでになった。アニターとして設計されたレンズは、焦点距離7.5cm、10.5cm、 10.7cm、12cm、15cm、18cm、36cmの7種類が確認されている。

アニター 12cm F4.5 アニター 12cm F4.5

「アニター 12cm F4.5」の前面。

アニター 12cm F4.5側面

「アニター 12cm F4.5」の側面、Nippon Kogaku Tokyoの刻印。

アニター 12cm F4.5側面

「アニター 12cm F4.5」の側面、Anytar 1:4.5 f=12cmの刻印。

1925

1925

「JOICO顕微鏡」発売

ニコンは創業時から顕微鏡の開発に携わり、当時の定款の生産品目にもあげられている。顕微鏡の発展に力を尽くしたのが、ドイツから招いた技術者の一人であり、顕微鏡設計に豊富な経験を持つハインリッヒ・アハトだ。顕微鏡用の対物レンズの設計に着手し、ドイツ流の新方式を採用しながら改良を重ね、レンズの精度を向上させていった。その努力が実り、1925(大正14)年には「JOICO(ジョイコ)顕微鏡」を発売。最大765倍まで拡大できる、当時としては画期的な顕微鏡だった。

JOICO顕微鏡 JOICO顕微鏡

ニコン設計による初の顕微鏡。“JOICO(ジョイコ)”とは、当時の社名である日本光学工業株式会社を直訳した”Japan Optical Industry Co.”の頭文字をとってつくられた商標。

1927

1927

光学ガラスの量産達成

1923年(大正12年)9月の関東大震災で硝子研究工場は設備に損害を受け、研究は一時中止となった。1924年2月に復旧工事が完了し、硝子研究所での研究を再開した。1927年(昭和2年)3月までに約70回の大熔解、220回を超える試験熔解を行った。その目的はひとえにガラスの品質の向上、量産技術の確立にあった。

一方、基礎研究のため第二工場に分析室を設け、ガラス原料の規格決定、るつぼの粘土、ガラスの調査分析を始めた。また、ガラス精密焼鈍(アニール)の研究も開始し、廊下の片隅に炉をつくり、試験ガラスの歪みの変化を観測した。最初に行ったのは大型双眼望遠鏡の20cm径対物レンズで、1927年には測距儀のペンタプリズム用ガラスの焼鈍に成功した。

こうして外国製光学ガラスと品質的に劣らない製品を作ることが可能となった。

1931

1931

8インチ天体望遠鏡を東京科学博物館(現 国立科学博物館)に納品

1931(昭和6)年、東京科学博物館に上野新館が完成した際、屋上の天文ドームに「8インチ天体望遠鏡」が設置された。これは「20cm屈折赤道儀」と呼ばれることもあり、本格的な赤道儀式屈折望遠鏡としては国産第1号といわれ、国産の天体望遠鏡では当時最大の口径を誇るものであった。1954年に大改修を行い、2005(平成17)年までの70年以上にわたり、日本で最も長く、来場者に天体の魅力を伝え続けてきた。役目を終えた後、2014年4月からは、国立科学博物館の地球館地下3階、「宇宙を探る」コーナーにて常設展示されている。

8インチ天体望遠鏡

本格的な赤道儀としてはニコン初で、当時国産では最大口径だった。2005年まで活躍。
撮影協力:国立科学博物館

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1932

1932

写真レンズの名称をNIKKOR(ニッコール)に決定

NIKKOR(ニッコール)レンズは、日本人設計者の「外国に頼っていた写真レンズを国産化したい」という強い信念から生まれた。ヨーロッパの光学産業の視察に発った設計者は、ベルリンではカメラ店を一軒一軒訪ねて、写真レンズの情報収集に明け暮れた。ようやく手本となるレンズを手に入れ、日本に戻ってきたが、そこからが本当の苦労の始まりだった。

現在であればコンピューターに頼れるが、レンズを設計するためには複雑な計算をしなければならない。苦心の末に試作品ができても、撮影したら思うような画質にならない。レンズの素材となるガラスも、今とは比較にならないほど種類が少なかった。精密な収差測定試験のあと、分解、測定、組立試験などを行って研究した。

こうした試行錯誤を繰り返して、1929(昭和4)年に最初のレンズ「アニター12cm F4.5」は完成した。その後、数種類のレンズの開発に成功し、写真レンズの製造に見通しがついたので、製品のブランド名が検討された。そこで、社名(当時:日本光学工業)の略称である「NIKKO(日光)」に、当時写真レンズの名前の末尾によく使用されていたアルファベット「R」を付けて、「NIKKOR(ニッコール)」と決定した。この名は1932年に商標登録された。

NIKKOR(ニッコール)の商標出願公告 NIKKOR(ニッコール)の商標出願公告

NIKKOR(ニッコール)の商標出願公告。1931年7月に出願、翌1932年4月に公告され、12月に登録。

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1933

1933

航空写真機用NIKKORレンズ「Aero-NIKKOR」納入

1933年(昭和8)年、地図製作を目的とした航空写真機用レンズを納入したことからNIKKORレンズの歴史は始まる。「空」を意味する「Aero(エアロ)」を接頭語にして「Aero-NIKKOR」と命名された。最初に70cm F5のほか、小型航空写真用として18cm F4.5のNIKKORレンズが納入された。

この歴史的なスタートから「NIKKOR」は発展を続け、日本を代表する高性能レンズの代名詞に成長する。

Aero-NIKKOR Aero-NIKKOR

現存する「Aero-NIKKOR 50cm F4.8」。